日本海海戦における戦術と「水軍戦法」

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日本海海戦における戦術と「水軍戦法」

日本海海戦における戦術ほど不思議なものはない

日本海海戦に於ける東郷平八郎の戦術を、緒外国の戦術家らが評して曰く、

日本海海戦に於ける東郷大将の戦術ほど不思議なものは無い。
冒険のようで堅実、堅実のようで冒険、のみならず部下各隊若くは各艦との関係も、統一的かと思うと独断を許しているし、独断的かと視ると統一が保たれているので、欧州各国古来の名将に例を取ろうとしても、これに適合するものが無い。
本当に妙戦術と言うの外は無いが、さるにてもどこから範を得たのだろう?

と、とても不思議に思っていました。

遠き数百年、水軍の昔よりあった戦術である

この問いに対して、東郷平八郎の智謀と称された秋山真之参謀が、戦後外で話した海戦談でこの点を次のように語りました。

東郷大将がかねて策定されました戦術は、我が海軍にていわゆる「丁字戦法」 「乙字戦法」と称うるもので、是また別段新奇の戦法ではなく、欧米諸国は知らず我が国にては、遠き数百年水軍の昔より此の戦術はあったのであります。即ち当日東郷大将の取られたる戦法が「丁字戦法」で、敵列に対し其の先頭を圧し丁字に運動されました。 (中略)
「乙字戦法 」とは即ち我が二隊にて敵の正面及び側面より十字火を喰はす戦法で、昔の水軍の戦法は之を正奇の二隊とし、正の隊が正面に当れば奇の隊は側面より懸ると云うものであります。
即ち此処では第一戦隊が正位を占め第二戦隊が奇位を取って戦ったと云うべきで、陸海戦術の大原則たる、正を以て合い奇を以て勝つと云うことは、此の如く微妙の点にまで応用されまして、古の兵家の格言は真に争はれぬ真理を込めて居るかと思われます。

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日本海海戦における「水軍戦法」の実例

豹陣(ひょうじん)

豹陣とは「虎の妻が豹と云う敵を誘ひ敵を引受けて討つ」と云い、先づ劣勢なるものをして敵を誘うことを云います。
日本海海戦では老朽艦で編成された第三艦隊がこの役目を果しました。

中将片岡七郎がひきいる第三艦隊が、日清戦争の老朽艦をあつめて編成されているということはすでにふれた。かれらが、予想される戦場にもっとも近い対馬で待機していたということも記述のとおりである。
東郷がこの老朽艦隊に負わせている役目は、いちはやくバルチック艦隊と接触し、接触とたもちつつその敵艦隊を東郷のひきいる主力艦隊にひきわたすというものであった。
「第三艦隊は、ロジェストウェンスキー提督を案内して東郷提督とひきあわせるというのがおもな役目だった」
というような表現で、この第三艦隊の参謀百武三郎少佐はにちに語っている。

『坂の上の雲』(沖ノ島)より

主戦と客戦

皇国の興廃此の一戦に在り各員一掃奮励努力せよ

バルチック艦隊との決戦にあたり、Z旗を掲げて全艦隊の将士を激励したのは、水軍にある主戦の説明に符号していると云います。

主戦とは我亭主となり彼客となるの意なり 主戦は客戦と違い兵糧武具何事に付けても求め易けれども、勝利を得ざれば国の存亡にもかかる故に、客戦よりも大切なり

敵隊衡軛(てきたいこうやく)

敵隊衡軛とは、二列の陣にして左右両列互に相助け敵に当るものであり、長蛇か鶴翼か偃月かに備え包み討つを利ありとすと云います。
日本海海戦では第一・第二戦隊が単縦陣(長蛇の備)を制り、先づ敵と反航通過すると見せかけ、機を観て先頭の旗艦三笠は急に南西に左折して東北東に変針し、これに続いて第一・第二戦隊の緒艦も順次之に倣い、敵の前路を斜めに遮って笠の如くに敵の先頭を蔽います。 これを日本海軍は「丁字戦法」と称します。

這は大蛇の横たはる形を云ふなり。
長く備へて左に敵を受くる時は右より助け、右に至れば左より救ふ。
中に懸れば左右より討つなり。
長蛇は陣法の根源なり。
四頭八尾にして相助けると云うは此の陣の心なり。
形は何にてもあれ此の心を呑込みたる時は変化自在なり。

一向二裏の備

バルチック艦隊に対峙するにあたり、第一・第二戦隊は正面より堂々と敵を迎えんとした。これを正隊と呼びます。また第三・第四・第五・第六戦隊は背後より敵を攻撃する。これを奇隊と呼びます。水軍はこれを称して「一向二裏の備」と云います

虎陣のこころ

猛虎は如何なる敵に対しても、全力を奮って最初の一撃に敵の大勢を挫くことを「虎陣のこころ」と云います。
日本海海戦では、距離八千米の地点で行った「敵前大回頭」に見られます。
敵はこれを好機と見て、一斉に砲撃を仕掛けてきましたが、距離が遠く命中率は低下します。東郷は敢えてこの「虎陣のこころ」で敵の出足を挫くことに成功しています。

鶴翼の陣形

戦の始まる時に於て、先づ敵の先頭に立つ一艘に味方の数艘が討ちかかり、
やにはに夫れを撃ち沈むべし。 さて二三艘も沈むれば敵全体の勢いを挫く

「敵前大回頭」を終えた日本海軍の最初の射撃は、バルチック艦隊の先頭をゆく旗艦スワロフとオスラービアに集中させます。

「水戦のはじめにあたっては、わが全力をあげて敵の先鋒を撃ち、やにわに二、三艘を討ちとるべし」
というのは、秋山真之が日本の水軍の戦術案から抽きあげた戦法であつた。 この思想は、外国の海軍にはなかった。
東郷は真之の樹てた戦術原則のとおりに艦隊を運用した。秋山戦術を水軍の原則にもどすと、
「まず、敵の将船を破る。わが全力をもって敵の分力を撃つ。つねに敵をつつむがごとくに運動する」
というものであった。

『坂の上の雲』(運命の海)より

夜襲

敵戦勝利を失はば、即夜之を討つべき事

昼戦に負けた敵は士気が下がっているに相違ないから、其の回復しない機に乗じて引続き夜襲をすれば効力があるという意味です。日本海海戦でも夜になると駆逐艦・水雷艇による夜襲を仕掛けています。

海戦は、真之のいう、
「七段構え」
の第一段目を終了した。第二段目は夜襲である。夜襲は五十余隻の駆逐艦・水雷艇のうけもちであった。かれらは夜明けまで一睡もしないであろう

『坂の上の雲』(死闘)より

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