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水軍学 - 水軍流儀

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水軍学「流儀」


海賊流

北條氏の末路天下漸く乱れんとするにあたり、豪放不覇の士部下を率い互に海賊と称し、内海沿岸の各所に拠りその勢力諸侯の如くなりしが、南北朝分立の頃伊予の豪傑村上義弘は諸海賊を征服して己れの傘下におき、自らを大将軍となり、水軍を組織し、これを海賊流と称す。

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三島(さんとう)流

海賊流より出で、別に一家を成したるもの。
南朝の忠臣北畠中納言顕家の子村上山城守師淸というもの四国に渡り水軍に長じたる河野通能に就き海賊流を学び能島に住す。
師淸三子あり、長子義顕家を継ぎて能島にあり、次子は因島に、三子は来島に住し、相共に水軍を研究して一流を立て、三島に因み三島流と称す。
火術に秀れる。

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能島(のじま)流

三島村上家の中の能島(村上氏繁栄の祖・村上義弘の本拠)の水軍流を特にこう呼ぶ。

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野島流

野島の住人能登種政なるもの、後裔村上河内、讃岐に移り、毛利元就、陶晴賢と厳島に戦うにあたり水軍を率いて元就を援け功あり。後その部下となり代々船奉行を命ぜられ、終に一流をたて、その祖先野島より出でたるを以て野島流と称す。(野島が能島と同島なるかは不明)

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磐尹(いわこれ)流

神代の磐楠船に因んで、“磐流”と称される阿波地方の海賊流。
後に足利義尹がこれを整備したためその名から一字取り「磐尹流」という。

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一品(いっぴん)流

永禄10年(1568年)、三島村上氏それぞれの当主3名が毛利元就の命を受け、家伝の海賊古法を選んで一編にまとめて献上したもの。
元就はその出来ばえを喜び家秘書としたが、平城天皇皇子・一品阿保親王に献じ「一品流」と呼んだ。

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管(かん)流

豊臣秀吉の船奉行・管道長の案出した学流。
道長は一族累代淡路に住し水戦に長す。
天正の頃秀吉の為に淡路を逐われ、紀伊に逃れ、水軍を練磨する。秀吉これを聞き朝鮮の役に抜して、船奉行となす。道長一流を立てその姓を取りて管流と称す。

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甲州流

武田信玄の部将・向井伊賀、伊丹大隈らが主命により諸種の水軍流を折衷して案出したもの。而してその国名を取りて甲州流と称す。

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九鬼流

九鬼嘉隆の案出せるもの。
嘉隆水戦に長し志摩を全有し、織田信長に従い水軍を以てしばしば功を建つ。
後に豊臣秀吉に属し朝鮮征伐の時水軍の将となる。而してその姓を以て自家水軍の流名となす。

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川上流

尾張地方に起こったもので、川上氏の案出したものと言われる。
「川上流船軍夜襲之巻」という書が残っている。

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逸克流

備前地方に起こったものといわれる。
「逸克流造船記」という書があるが、由来等、不詳な点が多い。

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和泉流

長門地方に起こったものといわれる。
「和泉流船軍秘書」という書があるが、由来等、不詳な点が多い。

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當(とう)流

「當流船艦秘書」という書があるが、不詳。

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