突如の黒船来航により、海防に目覚めた海国日本が、僅か50年で世界に並ぶ近代海軍を築き上げるまでをまとめた海軍史年表です。
1853年(嘉永6年)
- 6月3日
- ペリー浦賀に来航
- 6月4日
- 佐久間象山、米艦隊の動静視察のため浦賀へ急行
- 7月
- 勝安房、幕府に提出した海防意見書において、西洋式兵学校の設立と正確な官板翻訳書刊行の必要を説く
- 7月3日
- 幕府、水戸藩主徳川斉昭に海防の幕政参与を命ずる
- 7月18日
- プチャーチンの率いる4隻のロシア艦隊、長崎に来航
- 8月24日
- 幕府、品川台場築造に着手(安政元年7月竣工)
- 8月29日
- 島津斉彬、艦船建造・兵書・武器購入の許可を幕府に求める
- 9月15日
- 幕府、大船建造の禁令を解く
- 11月1日
- 幕府、徳川斉昭の主張をいれ、海防の大号令を発する
- 11月
- 幕府、浦賀に造船所を建設
- 12月5日
- 幕府、隅田川河口の御用地石川島を造船所敷地と決定し、水戸藩にその設立と運営を委託
1854年(嘉永7年・安政元年)
- 1月2日
- 洋式木造帆船旭日丸起工式
- 3月3日
- 日米和親条約調印
- 4月
- 露艦4隻、あいついで北蝦夷地(樺太)久春古丹に渡来
- 5月10日
- 幕府の浦賀造船所で、鳳凰丸竣工
(大船建造解禁後最初の西洋型帆船、長さ40m、幅9m、以後、幕府・諸藩により西洋型帆船の建造つづく) - 5月25日
- 幕府、海防および禁裏造営のため江戸町民に献金を命ずる(献金29万6千両にのぼる)
- 7月6日
- オランダ商艦長クルチウス、造船所・航海術伝授のため軍艦スンビン号の派遣を幕府に通告
- 7月9日
- 幕府、日章旗をもって日本国総印船とすることを命令
- 7月21日
- 幕府、品川砲台3基竣工につき、役人の見分を許す
- 7月28日
- スンビン号、長崎に入港
- 閏7月15日
- 英国東インド艦隊司令長官スターリング、軍艦4隻を率い長崎に入港、露艦隊探索のため緒港の出入を要求
- 9月18日
- プチャーチンの乗る軍艦ディアナ号、大阪に来航、天保山沖に停泊
- 12月2日
- ディアナ号、戸田へ回航の途中、駿河国一本松沖で沈没
- 12月7日
- 幕府、露使節プチャーチンに、沈没したディアナ号代艦を伊豆下田村で建造することを許可
1855年(安政2年)
- 8月25日
- 幕府、オランダ国王寄贈の汽船スンピン号を受領(のち観光丸と命名)
- 10月24日
- 幕府、長崎において第一次海軍伝習を開始(教官は蘭人ペルスライケンら、伝習員は矢田堀景蔵、勝安房ら)
1856年(安政3年)
- 7月
- 幕府、寛政4年5月に絶版を命じた林子平の『海国兵談』の再刊を許す
- 8月4日
- 幕府、クルチウスの警告にたいし、評定所一座・海防掛などに交易方法の評議を命ずる
- 10月5日
- 長崎における海軍伝習監察永井玄蕃頭、留学生を西洋へ派遣することを幕府に建議
1857年(安政4年)
- 3月4日
- 矢田堀景蔵、幕命により長崎海軍伝習生を率いて、観光丸の江戸回航に出発
- 3月26日
- 観光丸、品川に到着(日本人の手による自力回航成功)
- 4月11日
- 幕府、築地講武所内に軍艦教授所を設置、長崎での海軍伝習関係者がその教授に当る
- 7月
- 幕府、肥前鮑之浦(長崎)に製鉄所を建設(文久元年3月落成)
- 8月4日
- カッテンディーケ・ポンペら第二次海軍伝習教官隊、オランダから長崎へ到着(ペルスライケンらと交替)
- 9月26日
- ポンペ、長崎海軍伝習の一環として西洋医学の講義を始める
1858年(安政5年)
- 6月19日
- 日米修好通商条約調印
1859年(安政6年)
- 2月9日
- 長崎海軍伝習所閉鎖(ポンペの医学伝習とハルデスの製鉄所建設は続行)
1860年(安政7年)
- 1月13日
- 幕府の軍艦咸臨丸(軍艦奉行木村善毅、勝安房、福沢諭吉ら搭乗)、品川を出発し米国訪問に向う
- 1月18日
- 幕府使節新見正興ら、条約批准書交換のため、米軍艦に乗り品川を出発
- 2月26日
- 咸臨丸、サンフランシスコ入港
- 3月3日
- 桜田門外の変
- 閏3月28日
- 幕府使節、アメリカ大統領と会見
- 5月6日
- 咸臨丸、品川帰着(日本人の手による自力航海)
- 6月20日
- 幕府、陪臣の軍艦操練所入学を許可
- 9月28日
- 幕府使節、江戸帰着
1861年(文久元年)
- 2月3日
- 露艦ポサドニック、海軍根拠地設置を目的に対馬に来航、滞泊の許可を対馬藩に求める(対馬事件)
- 3月26日
- 幕府の長崎製鉄所、落成式(8馬力の蒸気ハンマー、15馬力の工作機械用蒸気機関を設備)
- 6月19日
- 幕府、庶民に大船の建造および外国商船の購入を解禁、国内運輸に使用を許可
1862年(文久2年)
- 7月4日
- 幕府、諸藩に艦船の購入を解禁
- 8月21日
- 鹿児島藩士奈良原喜左衛門、生麦で、島津久光の行列を犯したことを理由に英人を斬る(生麦事件)
- 12月18日
- 幕府、陸・海軍総裁設置
1863年(文久3年)
- 5月10日
- 萩藩、下関海峡通過の米商船を砲撃(馬関戦争)、続いて23日仏艦、26日オランダ艦を砲撃
- 7月2日
- 英艦隊7隻、鹿児島湾で鹿児島藩と戦う(薩英戦争)
1864年(元治元年)
- 5月21日
- 幕府、摂津神戸に海軍操練所をおく(頭取、勝安房)
- 8月5日
- 英・仏・米・蘭の四国連合艦隊、下関海峡で萩藩砲台と交戦
- 10月
- 幕府、神戸海軍操練所の勝安房を免職とする
- 11月10日
- 幕府、仏公使ロッシュに、横須賀製鉄所およびドック建設の斡旋を求める
1865年(慶應元年)
- 3月9日
- 神戸海軍操練所を廃止
- 閏5月
- 幕府、海軍奉行を開成所掛兼帯とする
- 8月24日
- 幕府建設の横浜製鉄所竣工
- 9月27日
- 幕府の横須賀製鉄所、起工式(首長はウェルニー、明治4年2月、第一期工事完成)
この年、技術伝習生徒・職工生徒をえらび造船技術の伝習を行うことを定める
1866年(慶應2年)
- 5月
- 幕府、石川島造船所で日本人の設計になる蒸気軍艦千代田形を建造
- 6月7日
- 幕府軍艦、萩藩領周防大島郡を砲撃(第二次征長の役の戦闘始まる)
- 7月19日
- 幕府、軍艦操練所を海軍所と改称
1867年(慶應3年)
- 4月
- 高知藩、長崎を本拠とする坂本龍馬の社中を海援隊と称し、同藩の付属とする
- 6月11日
- 幕府、海軍所において英軍人による航海緒術伝習開始のため、志願生を募集(12月より授業開始)
- 6月29日
- 幕府、国内事務総裁・会計総裁・外国事務総裁(各新設)・陸軍総裁・海軍総裁を任命、老中月番を廃止
- 11月11日
- 幕府、開成所につき陸海軍奉行の兼帯をやめて、外国総奉行の所管とする
1868年(慶應4年・明治元年)
- 5月
- 横須賀製鉄所、最初の修船台(曳上ドック)を竣工
- 8月19日
- 旧幕府海軍副総裁榎本武揚、艦船8隻を率い品川を脱走(仏国士官5人参加)
- 8月25日
- 大総督府、東京築地の旧幕府海軍所を接収(後の海軍造兵廠)
1869年(明治2年)
- 3月25日
- 宮古湾海戦(旧徳川幕府軍が宮古湾の官軍艦隊を奇襲)
- 5月11日
- 新政府海陸軍、函館総攻撃を開始
- 5月18日
- 戊辰戦争終結(五稜郭開城、榎本武揚以下降伏)
- 9月18日
- 海軍操練所を築地に設立(海軍兵学校の起源)
- 11月
- 近藤真琴、築地の海軍操練所内官舎において海軍予備教育を行い、攻玉塾と称する(攻玉社の前身)
1870年(明治3年)
- 3月29日
- 政府、横須賀製鉄所の横須賀学舎を復興、仏人ウェルニー、造船学・機械学等の伝習を再開
- 4月4日
- 政府、海軍所を東京に、陸軍所を大阪に設置することを決定
- 10月2日
- 政府、海軍はイギリス式、陸軍はフランス式と定める
- 11月4日
- 海軍操練所を海軍兵学寮と改称
1871年(明治4年)
- 2月8日
- 横須賀製鉄所(工部省所管)、第一期工事竣工(製鋼・錬鉄・鋳造・製罐の各工場および修理用ドックを設置)
- 2月
- 畠山義信、瀬戸重助らとはかり、綿フランネルを製造(陸海軍に納入)
- 4月9日
- 工部省、横須賀製鉄所を横須賀造船所、長崎製鉄所を長崎造船所、横浜製鉄所を横浜製作所と改称
- 7月28日
- 兵部省に、陸軍部・海軍部設置され、各軍楽隊独立(フェントンが海軍軍楽隊を指導)
- 7月
- 石川島造船所を兵部省海軍部造船局の管下におき、石川島造兵所と改称
- 9月8日
- 兵部省海軍部内条例により水路局を設置(海上水路を測量、航行の安全をはかる)
- 11月
- 海軍兵学寮、「博物階梯」(英文)を翻訳
1872年(明治5年)
- 2月18日
- 海陸軍刑律を定める
- 2月28日
- 兵部省を廃し、陸軍省・海軍省をおく
- 8月
- 海軍水路寮、日本最初の海図「陸中国釜石港之図」刊行
- 9月12日
- 新橋・横浜間鉄道開通式に海軍軍楽隊、伶人とともに軍学を演奏
- 9月14日
- 海軍兵員徴募規則を定める
- 10月8日
- 横須賀造船所・横浜製作所を、工部省より海軍省に移管
- 11月28日
- 徴兵の詔書および太政官告諭
1873年(明治6年)
- 1月9日
- 海軍始め、明治天皇、兵学寮に赴き、艦船整列を閲する(のち、恒例となる)
- 5月8日
- 陸海軍武官の官等を改正(元帥廃止)
- 12月4日
- 横浜製鉄所を海軍省から大蔵省に移管
- 12月27日
- 陸海軍資のため、家禄税を設ける
- 12月28日
- 陸海軍資のため、官禄税を設ける
1874年(明治7年)
- 8月14日
- 海軍仮提督府を鹿児島県におくことを決定
- 9月24日
- 海軍省、築地に兵器製造所を設置(のちの海軍兵器製造所)
- 10月13日
- 海軍第一提督府を大津村(神奈川県)におき、鹿児島仮提督府を第二提督府とすることを定める(ともに実現せず)
1875年(明治8年)
- 5月25日
- 軍艦雲陽、釜山に入港(朝鮮訪問中の外務小丞森山茂の交渉援助と挑戦威嚇ため)
- 9月20日
- 朝鮮西南海岸に示威中の軍艦雲陽、江華島守兵と交戦(江華島事件)
- 10月27日
- 中牟田倉之助少将率いる軍艦2隻、釜山に入港、儀仗兵を率いて上陸
1876年(明治9年)
- 2月4日
- 海軍武官・高等文官の社交機関として、芝山内に、山内倶楽部を設立(水交社の初め)
- 2月26日
- 黒田清隆・井上馨正副弁理大臣、江華府で朝鮮国と修好条規に調印
- 8月
- 海軍兵学寮を海軍兵学校と改組・改称
- 8月31日
- 提督府を廃し、鎮守府を東海・西海の二ヶ所におく
- 9月6日
- 東海鎮守府を横浜に仮設
- 10月
- 石川島造船所(海軍省所管)廃止(のち、平野富二、同所を借用し平野造船所を設立)
1877年(明治10年)
- 1月30日
- 鹿児島私学校生徒、草牟田村の火薬局、磯の海軍造船所を占領し、大阪砲兵支廠に移送中の兵器弾薬を奪う
- 2月
- 政府、西南戦争の軍事輸送従事に伴う郵便汽船三菱の船舶不足に対し、汽船8隻の購入費として洋銀80万ドル貸与
- 4月27日
- 参軍川村純義ら、海路鹿児島に至り、兵を各地に配置
- 6月22日
- 横須賀造船所(海軍省所管)、最初の軍艦清輝を竣工(897トン)
- 9月24日
- 西郷隆盛・桐野利秋ら、城山で自刃(西南戦争終結)
1878年(明治11年)
- 3月4日
- 太政大臣、外務省の上申に基づき、良港探索のため朝鮮沿岸測量を海軍省に命令
- 4月28日
- 軍艦天城、沿岸測量に出発
1879年(明治12年)
- 6月4日
- 東京招聘社を別格官幣社とし、靖国神社と改称、内務・陸軍・海軍三省の管理とする
- 10月27日
- 徴兵令改正(兵役年限を常備3年・予備3年、後備4年の計10年に延長、免役範囲を縮小、海軍徴兵を別に定める)
- 12月27日
- 官碌税を廃止
1880年(明治13年)
- 2月20日
- 陸軍省・海軍省・工部省、連署して太政官に製鉄所建設を稟議
1881年(明治14年)
- 5月1日
- 海軍軍医高木兼寛ら、成医会講習所を開設(イギリス医学による夜間医学校、のちの東京慈恵会医科大学)
- 5月27日
- 海軍水雷研究所で、グラム式磁性電気燈を探照燈として点火(水雷試験を天覧に供する際に使用)
- 8月3日
- 海軍機関学校を設置(海軍兵学校所管の横須賀機関学校を改編)
- 12月28日
- 陸軍刑法・海軍刑法を定める
1882年(明治15年)
- 1月
- 海軍軍楽隊志願者を一般から募集、瀬戸口藤吉ほか14人を採用
- 8月5日
- 戒厳令を定める
- 8月12日
- 徴発令を定める(戦時・事変の際の軍需調達につき規定、演習にも準用)
- 9月
- 海軍省兵器局兵器製作所(東京築地)、日本最初のルツボ鉄鋼を開始(12月、ルツボの国産化に成功)
1883年(明治16年)
- 2月16日
- 赤羽工作分局廃止(工場設備は工部省より海軍省兵器局へ移管)
- 4月
- 横須賀造船所(海軍省所管)、ブラッシュ発電機によりアーク燈と点火(作業に利用)
- 9月11日
- 海軍恩給令を定め、海軍退隠令を廃止
- 12月18日
- 海軍志願兵徴募規則を定める(現役10年以内)
1884年(明治17年)
- 2月8日
- 軍事部条例を仮定(海軍省軍務局を軍事部に改組し、軍令専掌機関とする、海軍軍令機関独立の最初)
- 3月21日
- 海軍治罪法を定める
- 4月1日
- 鎮守府軍法会議条例を定め、海軍裁判所を廃止
- 5月8日
- 海軍監獄則を定める(海軍監獄を、監倉、軽・重禁固場の三種とする)
- 10月1日
- 艦隊編制例を定める(艦隊を大中小の3種に分け、2艦隊以上を合せて連合艦隊を編制)
- 10月
- 兵器局築地工場(海軍省所管)、自製のルツボ鋼より、1インチ口径のノルデン機関砲を製作・試験
- 12月15日
- 東海鎮守府を横須賀に移し横須賀鎮守府と改称、鎮守府条例を定め、軍港に鎮守府をおくこととする
1885年(明治18年)
- 4月10日
- 国防会議条例を定める(皇族を議長、陸海軍将官を議員とし、陸海軍合同で全国防御腺計画などを審議)
- 9月22日
- 海軍省に海軍兵器会議を設置(兵器の行政と生産を担当)
1886年(明治19年)
- 2月27日
- 各省官制公布(大臣以下の職務・権限・、各省に次官1人をおくことなどを規定)
- 3月18日
- 参謀本部条例改正
(陸海軍の統合的軍令機関とし、陸軍部・海軍部をおく、本部長は皇族、次長に陸海軍将官、国防会議条例は廃止)
- 3月22日
- 海軍省軍事部廃止
- 4月26日
- 海軍条例公布
(軍令は参謀本部長参画し天皇親裁、軍政は海軍大臣管掌、全国を5海軍区に分け、それぞれに鎮守府をおくなど) - 6月15日
- 海軍公債証書条例公布(海軍拡張のため、1,700万円公募、利率五分)
- 6月
- 海軍兵器製造所、クルップ式75mm鋼砲を製作・試射)
- 10月5日
- 海軍検閲条例公布
- 11月5日
- 海軍省、陸戦隊概則公布
1887年(明治20年)
- 3月14日
- 明治天皇、海防整備のため手許金30万円を下賜する旨の詔書を閣僚に下す
- 6月2日
- 軍事参議官条例公布
(陸軍大臣・海軍大臣・参謀本部長・監軍で天皇直属の軍事審議機関をつくる) - 12月26日
- 陸海軍士官は試験を要せず文官に任用し得る旨公布
1888年(明治21年)
- 5月14日
- 参軍管制・海軍参謀本部条例を公布
(従来の参謀本部を廃止し、皇族大中将より任命の参軍を全軍の参謀長とし、その下に海軍参謀本部を置く) - 12月19日
- 海軍刑法改正公布(利敵行為・機密漏洩など処罰強化)
- 12月25日
- 陸海軍将校分限令公布(将校の身分を規定)
1889年(明治22年)
- 2月13日
- 海軍治罪法公布
- 2月20日
- アメリカと新通商航海条約調印(発効せず)
- 3月9日
- 海軍参謀部条例公布
(参軍の下に海軍参謀本部を置く制度を廃止し、海軍は海軍大臣の下にある海軍参謀部により軍令事項を管理) - 6月11日
- ドイツと新通商航海条約調印(発効せず)
- 7月1日
- 呉(第二海軍区)・佐世保(第三海軍区)両鎮守府開庁
- 7月24日
- 艦隊条例公布(常備艦隊を編成)
- 8月8日
- ロシアと新通商航海条約調印(発効せず)
1890年(明治23年)
- 3月27日
- 陸軍省・海軍省官制各改正公布
(同省職員を武官に限る規定を削除、陸軍は別表で資格を規定、大臣・次官は将官とする。海軍は別表つけず) - 3月28日
- 陸海軍大演習のため、名古屋地方を中心に、軍隊の大規模な鉄道輸送を行う
- 6月21日
- 軍人恩給法公布 (1883年の陸軍恩給令・海軍恩給令を統合)
- 8月21日
- 陸海軍出師準備に属する物品には、会計検査院法を適用しない旨を公布
- 9月
- 樺山海相、海軍力を現有および建造中の5万トンから12万トンに拡張する案を閣議に提出
(12万トンが当面の目標となる、財源上の理由で一部のみ第一議会で成立)
1891年(明治24年)
- 8月7日
- 海軍兵器製造所、シュワルツコップ型魚雷水雷の発射試験に成功
- 12月22日
- 蛮勇演説(海相樺山資紀、海軍省経費削減に反対し、薩長政府の力を力説する演説を行う)
- 12月25日
- 衆議院、民党主張の予算大削減案可決(軍艦製造費・鉄鋼所設立費など約892万円削減)
1892年(明治25年)
- 3月
- 小野浜造船所(呉鎮守府所管、兵庫県)、軍艦大島を竣工
(640トン、国産初の三段膨張蒸気機関を装備、蒸気圧約73キロ) - 5月31日
- 衆議院、予算案を修正し、軍艦建造費などを削減して可決
- 11月30日
- 軍艦千島、愛媛県堀江沖で英船ラヴェンナ号と衝突沈没(乗組員約70人溺死、政府は英船の責任を追及)
1893年(明治26年)
- 5月20日
- 海軍省官制改正公布(海軍大臣の権限を海軍軍政に限る、海軍参謀部を廃止し、軍令は海軍軍令部へうつす)
- 5月22日
- 戦時大本営条例公布(戦時の最高統帥部、陸海軍大作戦の計画は参謀総長の任とする)
- 7月10日
- ホノルル総領事藤井三郎、陸奥外相にあて、米国のハワイ併合の動向につき、在留日本人保護の為、軍艦派遣を要請
- 10月25日
- 千島・ラヴェンナ両船衝突事件、上海の英高等裁判所で敗訴
- 11月14日
- 海相西郷従道、軍艦浪速にハワイ行を命令
- ―
- 海軍省、下瀬火薬を水雷用として採用(のち弾丸の炸薬にも採用)
1894年(明治27年)
- 7月25日
- 日本艦隊、豊島沖で清国軍艦を攻撃、英国籍の輸送船高陞号を撃沈
- 8月1日
- 清国に宣戦布告(日清戦争)
- 9月17日
- 黄海海戦(連合艦隊(司令長官伊東祐亨中将)、清国北洋艦隊主力と遭遇、5艦を撃沈)
1895年(明治28年)
- 2月12日
- 北洋艦隊司令官丁汝昌、連合艦隊に降伏
- 4月17日
- 日清講和条約調印
- 4月23日
- 三国干渉
- 5月10日
- 海軍大将樺山資紀を台湾総督に任命
- 6月18日
- 仮設呉兵器製造所設立(海軍省所管)
18996年(明治29年)
- 4月1日
- 侍従武官官制公布(武官長1・陸軍武官5・海軍武官3で構成)
1897年(明治30年)
- 9月24日
- 海軍病院条例・海軍監獄条例・海軍造船廠条例各公布(各軍港に病院・監獄・造船廠をおく)
- 12月25日
- 松方首相、海相西郷従道と共に辞表提出
1898年(明治31年)
- 1月20日
- 元帥府条例公布(陸軍大将山県有朋・彰仁親王・大山巌・海軍大将西郷従道に元帥の称号授与)
1899年(明治32年)
- 3月22日
- 軍艦水雷艇補充基金特別会計法公布
- 4月14日
- 海軍下瀬火薬製造所条例公布(東京に設置、下瀬火薬を製造)
- 6月7日
- 鎮守府艦隊条例公布(各鎮守府に艦隊を置く)
1900年(明治33年)
- 5月19日
- 陸軍省・海軍省官制改正(軍部大臣の現役大・中将制確立)・海軍教育本部条例・海軍艦政本部条例各公布
1901年(明治34年)
- 10月18日
- 海軍省、無線電信機を兵器として採用(火花式、船舶間到達距離約130km)
1902年(明治35年)
- 1月30日
- 日英同盟協約、ロンドンで調印、即日実施
- 3月1日
- 三笠、イギリスで竣工
- 5月18日
- 三笠、横須賀着
- 7月18日
- 西郷従道没(享年60歳)
- 7月26日
- 常備艦隊司令長官に日高壮之丞中将を任命
1903年(明治36年)
- 1月22日
- 五海軍区を四海軍区に改正(従来の五区軍港室蘭を廃止)
- 4月10日
- 神戸沖で大演習観艦式挙行、御召艦浅間。(参加艦船61隻)
- 10月19日
- 常備艦隊司令長官に東郷平八郎中将を任命
- 11月5日
- 海軍工廠条例を定め、海軍造船廠条例を廃止
- 11月6日
- 海軍工廠条例公布(横須賀・佐世保・舞鶴・呉海軍工廠設置)
- 12月14日
- 鎮守府艦隊条例廃止
- 12月27日
- 第二艦隊司令長官に上村彦之丞中将を任命
- 12月28日
- 戦時大本営条例改正(参謀総長と軍令部長を対等とする)
- 12月28日
- 海軍軍令部条例改正公布
- 12月28日
- 第一、第二、第三艦隊を編成し、第一、第二艦隊で連合艦隊を組織
- 12月28日
- 第一艦隊司令長官兼連合艦隊司令長官に東郷平八郎中将を任命
- 12月30日
- 参謀本部・軍令部首脳会議、開戦時の陸海軍共同作戦計画を決定
- 12月30日
- 春日、日進を購入
1904年(明治37年)
- 2月8日
- 連合艦隊、旅順港外の露艦隊を攻撃
- 2月9日
- 仁川のロシア軍艦2隻を撃破
- 2月10日
- ロシアに宣戦布告(日露戦争)
- 2月11日
- 大本営を宮中に設置
- 2月24日
- 第一次旅順口閉塞作戦実施
- 3月27日
- 第ニ次旅順口閉塞作戦実施
- 4月25日
- ロシアのウラジオストク艦隊、軍隊輸送中の金州丸を元山沖で撃沈
- 5月3日
- 第三次旅順口閉塞作戦実施
- 6月15日
- ウラジオストク艦隊、対馬海峡で陸軍運送船常陸丸、和泉丸を撃沈、佐渡丸を砲撃
- 7月12日
- 海軍軍令部長ら、参謀総長に対し、ロシアのバルチック艦隊東航に備えるため、旅順攻略促進の希望を申入れ
- 8月10日
- 黄海海戦(露艦隊、旅順を出撃し黄海で連合艦隊と海戦、主力は旅順に敗走)
- 8月14日
- 第二艦隊、蔚山沖でウラジオストク艦隊と海戦、1隻を撃沈、2隻撃破
1905年(明治38年)
- 5月27日
- 日本海海戦(連合艦隊、日本海でロシアのバルチック艦隊を破る)
出典: 「近代日本総合年表」より抜粋

