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明治海軍五十年史年表

突如の黒船来航により、海防に目覚めた海国日本が、僅か50年で世界に並ぶ近代海軍を築き上げるまでをまとめた海軍史年表です。

1853年(嘉永6年)

6月3日
ペリー浦賀に来航
6月4日
佐久間象山、米艦隊の動静視察のため浦賀へ急行
7月
勝安房、幕府に提出した海防意見書において、西洋式兵学校の設立と正確な官板翻訳書刊行の必要を説く
7月3日
幕府、水戸藩主徳川斉昭に海防の幕政参与を命ずる
7月18日
プチャーチンの率いる4隻のロシア艦隊、長崎に来航
8月24日
幕府、品川台場築造に着手(安政元年7月竣工)
8月29日
島津斉彬、艦船建造・兵書・武器購入の許可を幕府に求める
9月15日
幕府、大船建造の禁令を解く
11月1日
幕府、徳川斉昭の主張をいれ、海防の大号令を発する
11月
幕府、浦賀に造船所を建設
12月5日
幕府、隅田川河口の御用地石川島を造船所敷地と決定し、水戸藩にその設立と運営を委託

1854年(嘉永7年・安政元年)

1月2日
洋式木造帆船旭日丸起工式
3月3日
日米和親条約調印
4月
露艦4隻、あいついで北蝦夷地(樺太)久春古丹に渡来
5月10日
幕府の浦賀造船所で、鳳凰丸竣工
(大船建造解禁後最初の西洋型帆船、長さ40m、幅9m、以後、幕府・諸藩により西洋型帆船の建造つづく)
5月25日
幕府、海防および禁裏造営のため江戸町民に献金を命ずる(献金29万6千両にのぼる)
7月6日
オランダ商艦長クルチウス、造船所・航海術伝授のため軍艦スンビン号の派遣を幕府に通告
7月9日
幕府、日章旗をもって日本国総印船とすることを命令
7月21日
幕府、品川砲台3基竣工につき、役人の見分を許す
7月28日
スンビン号、長崎に入港
閏7月15日
英国東インド艦隊司令長官スターリング、軍艦4隻を率い長崎に入港、露艦隊探索のため緒港の出入を要求
9月18日
プチャーチンの乗る軍艦ディアナ号、大阪に来航、天保山沖に停泊
12月2日
ディアナ号、戸田へ回航の途中、駿河国一本松沖で沈没
12月7日
幕府、露使節プチャーチンに、沈没したディアナ号代艦を伊豆下田村で建造することを許可

1855年(安政2年)

8月25日
幕府、オランダ国王寄贈の汽船スンピン号を受領(のち観光丸と命名)
10月24日
幕府、長崎において第一次海軍伝習を開始(教官は蘭人ペルスライケンら、伝習員は矢田堀景蔵、勝安房ら)

1856年(安政3年)

7月
幕府、寛政4年5月に絶版を命じた林子平の『海国兵談』の再刊を許す
8月4日
幕府、クルチウスの警告にたいし、評定所一座・海防掛などに交易方法の評議を命ずる
10月5日
長崎における海軍伝習監察永井玄蕃頭、留学生を西洋へ派遣することを幕府に建議

1857年(安政4年)

3月4日
矢田堀景蔵、幕命により長崎海軍伝習生を率いて、観光丸の江戸回航に出発
3月26日
観光丸、品川に到着(日本人の手による自力回航成功)
4月11日
幕府、築地講武所内に軍艦教授所を設置、長崎での海軍伝習関係者がその教授に当る
7月
幕府、肥前鮑之浦(長崎)に製鉄所を建設(文久元年3月落成)
8月4日
カッテンディーケ・ポンペら第二次海軍伝習教官隊、オランダから長崎へ到着(ペルスライケンらと交替)
9月26日
ポンペ、長崎海軍伝習の一環として西洋医学の講義を始める

1858年(安政5年)

6月19日
日米修好通商条約調印

1859年(安政6年)

2月9日
長崎海軍伝習所閉鎖(ポンペの医学伝習とハルデスの製鉄所建設は続行)

1860年(安政7年)

1月13日
幕府の軍艦咸臨丸(軍艦奉行木村善毅、勝安房、福沢諭吉ら搭乗)、品川を出発し米国訪問に向う
1月18日
幕府使節新見正興ら、条約批准書交換のため、米軍艦に乗り品川を出発
2月26日
咸臨丸、サンフランシスコ入港
3月3日
桜田門外の変
閏3月28日
幕府使節、アメリカ大統領と会見
5月6日
咸臨丸、品川帰着(日本人の手による自力航海)
6月20日
幕府、陪臣の軍艦操練所入学を許可
9月28日
幕府使節、江戸帰着

1861年(文久元年)

2月3日
露艦ポサドニック、海軍根拠地設置を目的に対馬に来航、滞泊の許可を対馬藩に求める(対馬事件
3月26日
幕府の長崎製鉄所、落成式(8馬力の蒸気ハンマー、15馬力の工作機械用蒸気機関を設備)
6月19日
幕府、庶民に大船の建造および外国商船の購入を解禁、国内運輸に使用を許可

1862年(文久2年)

7月4日
幕府、諸藩に艦船の購入を解禁
8月21日
鹿児島藩士奈良原喜左衛門、生麦で、島津久光の行列を犯したことを理由に英人を斬る(生麦事件
12月18日
幕府、陸・海軍総裁設置

1863年(文久3年)

5月10日
萩藩、下関海峡通過の米商船を砲撃(馬関戦争)、続いて23日仏艦、26日オランダ艦を砲撃
7月2日
英艦隊7隻、鹿児島湾で鹿児島藩と戦う(薩英戦争

1864年(元治元年)

5月21日
幕府、摂津神戸に海軍操練所をおく(頭取、勝安房)
8月5日
英・仏・米・蘭の四国連合艦隊、下関海峡で萩藩砲台と交戦
10月
幕府、神戸海軍操練所の勝安房を免職とする
11月10日
幕府、仏公使ロッシュに、横須賀製鉄所およびドック建設の斡旋を求める

1865年(慶應元年)

3月9日
神戸海軍操練所を廃止
閏5月
幕府、海軍奉行を開成所掛兼帯とする
8月24日
幕府建設の横浜製鉄所竣工
9月27日
幕府の横須賀製鉄所、起工式(首長はウェルニー、明治4年2月、第一期工事完成)
この年、技術伝習生徒・職工生徒をえらび造船技術の伝習を行うことを定める

1866年(慶應2年)

5月
幕府、石川島造船所で日本人の設計になる蒸気軍艦千代田形を建造
6月7日
幕府軍艦、萩藩領周防大島郡を砲撃(第二次征長の役の戦闘始まる)
7月19日
幕府、軍艦操練所を海軍所と改称

1867年(慶應3年)

4月
高知藩、長崎を本拠とする坂本龍馬の社中を海援隊と称し、同藩の付属とする
6月11日
幕府、海軍所において英軍人による航海緒術伝習開始のため、志願生を募集(12月より授業開始)
6月29日
幕府、国内事務総裁・会計総裁・外国事務総裁(各新設)・陸軍総裁・海軍総裁を任命、老中月番を廃止
11月11日
幕府、開成所につき陸海軍奉行の兼帯をやめて、外国総奉行の所管とする

1868年(慶應4年・明治元年)

5月
横須賀製鉄所、最初の修船台(曳上ドック)を竣工
8月19日
旧幕府海軍副総裁榎本武揚、艦船8隻を率い品川を脱走(仏国士官5人参加)
8月25日
大総督府、東京築地の旧幕府海軍所を接収(後の海軍造兵廠)

1869年(明治2年)

3月25日
宮古湾海戦(旧徳川幕府軍が宮古湾の官軍艦隊を奇襲)
5月11日
新政府海陸軍、函館総攻撃を開始
5月18日
戊辰戦争終結(五稜郭開城、榎本武揚以下降伏)
9月18日
海軍操練所を築地に設立(海軍兵学校の起源)
11月
近藤真琴、築地の海軍操練所内官舎において海軍予備教育を行い、攻玉塾と称する(攻玉社の前身)

1870年(明治3年)

3月29日
政府、横須賀製鉄所の横須賀学舎を復興、仏人ウェルニー、造船学・機械学等の伝習を再開
4月4日
政府、海軍所を東京に、陸軍所を大阪に設置することを決定
10月2日
政府、海軍はイギリス式、陸軍はフランス式と定める
11月4日
海軍操練所を海軍兵学寮と改称

1871年(明治4年)

2月8日
横須賀製鉄所(工部省所管)、第一期工事竣工(製鋼・錬鉄・鋳造・製罐の各工場および修理用ドックを設置)
2月
畠山義信、瀬戸重助らとはかり、綿フランネルを製造(陸海軍に納入)
4月9日
工部省、横須賀製鉄所を横須賀造船所、長崎製鉄所を長崎造船所、横浜製鉄所を横浜製作所と改称
7月28日
兵部省に、陸軍部・海軍部設置され、各軍楽隊独立(フェントンが海軍軍楽隊を指導)
7月
石川島造船所を兵部省海軍部造船局の管下におき、石川島造兵所と改称
9月8日
兵部省海軍部内条例により水路局を設置(海上水路を測量、航行の安全をはかる)
11月
海軍兵学寮、「博物階梯」(英文)を翻訳

1872年(明治5年)

2月18日
海陸軍刑律を定める
2月28日
兵部省を廃し、陸軍省・海軍省をおく
8月
海軍水路寮、日本最初の海図「陸中国釜石港之図」刊行
9月12日
新橋・横浜間鉄道開通式に海軍軍楽隊、伶人とともに軍学を演奏
9月14日
海軍兵員徴募規則を定める
10月8日
横須賀造船所・横浜製作所を、工部省より海軍省に移管
11月28日
徴兵の詔書および太政官告諭

1873年(明治6年)

1月9日
海軍始め、明治天皇、兵学寮に赴き、艦船整列を閲する(のち、恒例となる)
5月8日
陸海軍武官の官等を改正(元帥廃止)
12月4日
横浜製鉄所を海軍省から大蔵省に移管
12月27日
陸海軍資のため、家禄税を設ける
12月28日
陸海軍資のため、官禄税を設ける

1874年(明治7年)

8月14日
海軍仮提督府を鹿児島県におくことを決定
9月24日
海軍省、築地に兵器製造所を設置(のちの海軍兵器製造所)
10月13日
海軍第一提督府を大津村(神奈川県)におき、鹿児島仮提督府を第二提督府とすることを定める(ともに実現せず)

1875年(明治8年)

5月25日
軍艦雲陽、釜山に入港(朝鮮訪問中の外務小丞森山茂の交渉援助と挑戦威嚇ため)
9月20日
朝鮮西南海岸に示威中の軍艦雲陽、江華島守兵と交戦(江華島事件
10月27日
中牟田倉之助少将率いる軍艦2隻、釜山に入港、儀仗兵を率いて上陸

1876年(明治9年)

2月4日
海軍武官・高等文官の社交機関として、芝山内に、山内倶楽部を設立(水交社の初め)
2月26日
黒田清隆・井上馨正副弁理大臣、江華府で朝鮮国と修好条規に調印
8月
海軍兵学寮を海軍兵学校と改組・改称
8月31日
提督府を廃し、鎮守府を東海・西海の二ヶ所におく
9月6日
東海鎮守府を横浜に仮設
10月
石川島造船所(海軍省所管)廃止(のち、平野富二、同所を借用し平野造船所を設立)

1877年(明治10年)

1月30日
鹿児島私学校生徒、草牟田村の火薬局、磯の海軍造船所を占領し、大阪砲兵支廠に移送中の兵器弾薬を奪う
2月
政府、西南戦争の軍事輸送従事に伴う郵便汽船三菱の船舶不足に対し、汽船8隻の購入費として洋銀80万ドル貸与
4月27日
参軍川村純義ら、海路鹿児島に至り、兵を各地に配置
6月22日
横須賀造船所(海軍省所管)、最初の軍艦清輝を竣工(897トン)
9月24日
西郷隆盛・桐野利秋ら、城山で自刃(西南戦争終結)

1878年(明治11年)

3月4日
太政大臣、外務省の上申に基づき、良港探索のため朝鮮沿岸測量を海軍省に命令
4月28日
軍艦天城、沿岸測量に出発

1879年(明治12年)

6月4日
東京招聘社を別格官幣社とし、靖国神社と改称、内務・陸軍・海軍三省の管理とする
10月27日
徴兵令改正(兵役年限を常備3年・予備3年、後備4年の計10年に延長、免役範囲を縮小、海軍徴兵を別に定める)
12月27日
官碌税を廃止

1880年(明治13年)

2月20日
陸軍省・海軍省・工部省、連署して太政官に製鉄所建設を稟議

1881年(明治14年)

5月1日
海軍軍医高木兼寛ら、成医会講習所を開設(イギリス医学による夜間医学校、のちの東京慈恵会医科大学)
5月27日
海軍水雷研究所で、グラム式磁性電気燈を探照燈として点火(水雷試験を天覧に供する際に使用)
8月3日
海軍機関学校を設置(海軍兵学校所管の横須賀機関学校を改編)
12月28日
陸軍刑法・海軍刑法を定める

1882年(明治15年)

1月
海軍軍楽隊志願者を一般から募集、瀬戸口藤吉ほか14人を採用
8月5日
戒厳令を定める
8月12日
徴発令を定める(戦時・事変の際の軍需調達につき規定、演習にも準用)
9月
海軍省兵器局兵器製作所(東京築地)、日本最初のルツボ鉄鋼を開始(12月、ルツボの国産化に成功)

1883年(明治16年)

2月16日
赤羽工作分局廃止(工場設備は工部省より海軍省兵器局へ移管)
4月
横須賀造船所(海軍省所管)、ブラッシュ発電機によりアーク燈と点火(作業に利用)
9月11日
海軍恩給令を定め、海軍退隠令を廃止
12月18日
海軍志願兵徴募規則を定める(現役10年以内)

1884年(明治17年)

2月8日
軍事部条例を仮定(海軍省軍務局を軍事部に改組し、軍令専掌機関とする、海軍軍令機関独立の最初)
3月21日
海軍治罪法を定める
4月1日
鎮守府軍法会議条例を定め、海軍裁判所を廃止
5月8日
海軍監獄則を定める(海軍監獄を、監倉、軽・重禁固場の三種とする)
10月1日
艦隊編制例を定める(艦隊を大中小の3種に分け、2艦隊以上を合せて連合艦隊を編制)
10月
兵器局築地工場(海軍省所管)、自製のルツボ鋼より、1インチ口径のノルデン機関砲を製作・試験
12月15日
東海鎮守府を横須賀に移し横須賀鎮守府と改称、鎮守府条例を定め、軍港に鎮守府をおくこととする

1885年(明治18年)

4月10日
国防会議条例を定める(皇族を議長、陸海軍将官を議員とし、陸海軍合同で全国防御腺計画などを審議)
9月22日
海軍省に海軍兵器会議を設置(兵器の行政と生産を担当)

1886年(明治19年)

2月27日
各省官制公布(大臣以下の職務・権限・、各省に次官1人をおくことなどを規定)
3月18日
参謀本部条例改正
(陸海軍の統合的軍令機関とし、陸軍部・海軍部をおく、本部長は皇族、次長に陸海軍将官、国防会議条例は廃止)
3月22日
海軍省軍事部廃止
4月26日
海軍条例公布
(軍令は参謀本部長参画し天皇親裁、軍政は海軍大臣管掌、全国を5海軍区に分け、それぞれに鎮守府をおくなど)
6月15日
海軍公債証書条例公布(海軍拡張のため、1,700万円公募、利率五分)
6月
海軍兵器製造所、クルップ式75mm鋼砲を製作・試射)
10月5日
海軍検閲条例公布
11月5日
海軍省、陸戦隊概則公布

1887年(明治20年)

3月14日
明治天皇、海防整備のため手許金30万円を下賜する旨の詔書を閣僚に下す
6月2日
軍事参議官条例公布
(陸軍大臣・海軍大臣・参謀本部長・監軍で天皇直属の軍事審議機関をつくる)
12月26日
陸海軍士官は試験を要せず文官に任用し得る旨公布

1888年(明治21年)

5月14日
参軍管制・海軍参謀本部条例を公布
(従来の参謀本部を廃止し、皇族大中将より任命の参軍を全軍の参謀長とし、その下に海軍参謀本部を置く)
12月19日
海軍刑法改正公布(利敵行為・機密漏洩など処罰強化)
12月25日
陸海軍将校分限令公布(将校の身分を規定)

1889年(明治22年)

2月13日
海軍治罪法公布
2月20日
アメリカと新通商航海条約調印(発効せず)
3月9日
海軍参謀部条例公布
(参軍の下に海軍参謀本部を置く制度を廃止し、海軍は海軍大臣の下にある海軍参謀部により軍令事項を管理)
6月11日
ドイツと新通商航海条約調印(発効せず)
7月1日
呉(第二海軍区)・佐世保(第三海軍区)両鎮守府開庁
7月24日
艦隊条例公布(常備艦隊を編成)
8月8日
ロシアと新通商航海条約調印(発効せず)

1890年(明治23年)

3月27日
陸軍省・海軍省官制各改正公布
(同省職員を武官に限る規定を削除、陸軍は別表で資格を規定、大臣・次官は将官とする。海軍は別表つけず)
3月28日
陸海軍大演習のため、名古屋地方を中心に、軍隊の大規模な鉄道輸送を行う
6月21日
軍人恩給法公布 (1883年の陸軍恩給令・海軍恩給令を統合)
8月21日
陸海軍出師準備に属する物品には、会計検査院法を適用しない旨を公布
9月
樺山海相、海軍力を現有および建造中の5万トンから12万トンに拡張する案を閣議に提出
(12万トンが当面の目標となる、財源上の理由で一部のみ第一議会で成立)

1891年(明治24年)

8月7日
海軍兵器製造所、シュワルツコップ型魚雷水雷の発射試験に成功
12月22日
蛮勇演説(海相樺山資紀、海軍省経費削減に反対し、薩長政府の力を力説する演説を行う)
12月25日
衆議院、民党主張の予算大削減案可決(軍艦製造費・鉄鋼所設立費など約892万円削減)

1892年(明治25年)

3月
小野浜造船所(呉鎮守府所管、兵庫県)、軍艦大島を竣工
(640トン、国産初の三段膨張蒸気機関を装備、蒸気圧約73キロ)
5月31日
衆議院、予算案を修正し、軍艦建造費などを削減して可決
11月30日
軍艦千島、愛媛県堀江沖で英船ラヴェンナ号と衝突沈没(乗組員約70人溺死、政府は英船の責任を追及)

1893年(明治26年)

5月20日
海軍省官制改正公布(海軍大臣の権限を海軍軍政に限る、海軍参謀部を廃止し、軍令は海軍軍令部へうつす)
5月22日
戦時大本営条例公布(戦時の最高統帥部、陸海軍大作戦の計画は参謀総長の任とする)
7月10日
ホノルル総領事藤井三郎、陸奥外相にあて、米国のハワイ併合の動向につき、在留日本人保護の為、軍艦派遣を要請
10月25日
千島・ラヴェンナ両船衝突事件、上海の英高等裁判所で敗訴
11月14日
海相西郷従道、軍艦浪速にハワイ行を命令
海軍省、下瀬火薬を水雷用として採用(のち弾丸の炸薬にも採用)

1894年(明治27年)

7月25日
日本艦隊、豊島沖で清国軍艦を攻撃、英国籍の輸送船高陞号を撃沈
8月1日
清国に宣戦布告(日清戦争)
9月17日
黄海海戦(連合艦隊(司令長官伊東祐亨中将)、清国北洋艦隊主力と遭遇、5艦を撃沈)

1895年(明治28年)

2月12日
北洋艦隊司令官丁汝昌、連合艦隊に降伏
4月17日
日清講和条約調印
4月23日
三国干渉
5月10日
海軍大将樺山資紀を台湾総督に任命
6月18日
仮設呉兵器製造所設立(海軍省所管)

18996年(明治29年)

4月1日
侍従武官官制公布(武官長1・陸軍武官5・海軍武官3で構成)

1897年(明治30年)

9月24日
海軍病院条例・海軍監獄条例・海軍造船廠条例各公布(各軍港に病院・監獄・造船廠をおく)
12月25日
松方首相、海相西郷従道と共に辞表提出

1898年(明治31年)

1月20日
元帥府条例公布(陸軍大将山県有朋・彰仁親王・大山巌・海軍大将西郷従道に元帥の称号授与)

1899年(明治32年)

3月22日
軍艦水雷艇補充基金特別会計法公布
4月14日
海軍下瀬火薬製造所条例公布(東京に設置、下瀬火薬を製造)
6月7日
鎮守府艦隊条例公布(各鎮守府に艦隊を置く)

1900年(明治33年)

5月19日
陸軍省・海軍省官制改正(軍部大臣の現役大・中将制確立)・海軍教育本部条例・海軍艦政本部条例各公布

1901年(明治34年)

10月18日
海軍省、無線電信機を兵器として採用(火花式、船舶間到達距離約130km)

1902年(明治35年)

1月30日
日英同盟協約、ロンドンで調印、即日実施
3月1日
三笠、イギリスで竣工
5月18日
三笠、横須賀着
7月18日
西郷従道没(享年60歳)
7月26日
常備艦隊司令長官に日高壮之丞中将を任命

1903年(明治36年)

1月22日
五海軍区を四海軍区に改正(従来の五区軍港室蘭を廃止)
4月10日
神戸沖で大演習観艦式挙行、御召艦浅間。(参加艦船61隻)
10月19日
常備艦隊司令長官に東郷平八郎中将を任命
11月5日
海軍工廠条例を定め、海軍造船廠条例を廃止
11月6日
海軍工廠条例公布(横須賀・佐世保・舞鶴・呉海軍工廠設置)
12月14日
鎮守府艦隊条例廃止
12月27日
第二艦隊司令長官に上村彦之丞中将を任命
12月28日
戦時大本営条例改正(参謀総長と軍令部長を対等とする)
12月28日
海軍軍令部条例改正公布
12月28日
第一、第二、第三艦隊を編成し、第一、第二艦隊で連合艦隊を組織
12月28日
第一艦隊司令長官兼連合艦隊司令長官に東郷平八郎中将を任命
12月30日
参謀本部・軍令部首脳会議、開戦時の陸海軍共同作戦計画を決定
12月30日
春日、日進を購入

1904年(明治37年)

2月8日
連合艦隊、旅順港外の露艦隊を攻撃
2月9日
仁川のロシア軍艦2隻を撃破
2月10日
ロシアに宣戦布告(日露戦争)
2月11日
大本営を宮中に設置
2月24日
第一次旅順口閉塞作戦実施
3月27日
第ニ次旅順口閉塞作戦実施
4月25日
ロシアのウラジオストク艦隊、軍隊輸送中の金州丸を元山沖で撃沈
5月3日
第三次旅順口閉塞作戦実施
6月15日
ウラジオストク艦隊、対馬海峡で陸軍運送船常陸丸、和泉丸を撃沈、佐渡丸を砲撃
7月12日
海軍軍令部長ら、参謀総長に対し、ロシアのバルチック艦隊東航に備えるため、旅順攻略促進の希望を申入れ
8月10日
黄海海戦(露艦隊、旅順を出撃し黄海で連合艦隊と海戦、主力は旅順に敗走)
8月14日
第二艦隊、蔚山沖でウラジオストク艦隊と海戦、1隻を撃沈、2隻撃破

1905年(明治38年)

5月27日
日本海海戦(連合艦隊、日本海でロシアのバルチック艦隊を破る)

出典: 「近代日本総合年表」より抜粋