内村鑑三「戦争廃止論」

余は日露戦非開戦論者である許りでない。戦争絶対的反対論者である。戦争は人を殺すことである、爾うして人を殺すことは大罪悪である。爾うして大罪悪を犯して個人も永久に利益を収め得よう筈はない。

世には戦争の利益を説く者がある、然り、余も一時は斯かる愚を唱へた者である、然しながら今に至て其愚の極なりしを表白する、戦争の利益は其害悪を償ふに足りない、戦争の利益は強盗の利益である、是れは盗みし者の一時の利益であって(若し之をしも利益と称するを得ば)、彼と盗まれし者との永久の不利益である、盗みし者の道徳は之が為め堕落し、其結果として彼は終に彼が剣を抜て盗み得しものよりも数層倍ものを以て彼の罪悪を償はざるを得ざるに至る、若し世に大愚の極と称すべきものがあれば、それは剣を以て国運の進歩を計らんとすることである。

近くは其実例を二十七、八年の日清戦争に於て見ることが出来る、二億の富と一万の生命を消費して日本国が此戦争より得しものは何である乎、僅少の名誉と○○○○伯が侯となりて彼の妻妾の数を増したることの外に日本国は此戦争より何の利益を得たか、其目的たりし朝鮮の独立は之がために強められずして却て弱められ、支那分割の端緒は開かれ、日本国民の分担は非常に増加され、其道徳は非常に堕落し、東洋全体を危殆の地位にまで持ち来つたのではない乎、此大害毒大損粍を目前に視ながら尚も開戦論を主張するが如きは正気の沙汰とは逆も思はれない。

勿論サーベルが政権を握る今日の日本に於て余の戦争廃止論が直に行はれやうとは余と雖も望まない、然しながら戦争廃止論は今や文明国の識者の与論となりつつある、爾うして戦争廃止論の声の揚らない国は未開国である、然り、野蛮国である、余は不肖なりと雖も今の時に方て此声を揚げて一人なりとも多くの賛成書を此大慈善主義のために得たく欲ふ、世の正義と人道と国家とを愛する者よ、来て大胆に此主義に賛成せよ。

「萬朝報」(明治36年6月30日)より

日露開戦の気運が高まるなか、内村鑑三はクリスチャンの立場から戦争反対を唱えた。 彼は先の日清戦争を例に挙げ、開戦の理由と裏腹に朝鮮の独立を危うくし、国民の腐敗をもたらしたこと、 「戦争の利益は強盗の利益に過ぎない」と説いた。 しかし非戦論は少数、主戦論は圧倒的に多数で、日本の大半は主戦論に飲み込まれた。