大に海軍を創立すべきの議
夫れ海軍を創立せんと欲する時は、地形と地勢と国力とを参考洞察して緩急大小その宜きに処すべきなり。試に西洋の数国を引て之を弁解せん。英吉利(イギリス)は魯西亜(ロシア)に比すれば国小にして陸軍の数大劣ると雖、海軍の力は遥かに勝れり。是れ海中に孤立する国と大陸に弥漫する国と素より地形の異なるに因て其の専備と為る所自から然らざるを得ず。又海外に属地を領し或は通商を事とするの国は殊に海軍を要用とす。彼の強大なる魯西亜(ロシア)、独逸(ドイツ)と雖、往時魯の伯徳兒(ピョートル)帝傭工に変じ、和蘭(オランダ)に入りて自ら造船の術を学び大に海軍の基礎を建しことは、時勢事情を遠察する大功業と謂うべし。以後其遠志を継ぎ次第に海軍を増加し、近来益々兄弟となし勉めて英仏に匹敵せんことを期す、魯国の海軍を兼備するは諺に所謂虎に翼を副ゆる者にして、其大欲を遠近に逞うする豈際涯あらんや。又字漏生に於ては二十年前初めて之を創起すれども俄に強大となり、去年既に宇内第一等の厚鉄艦をも造備せり。仏国も当帝に至り之を増盛し、僅か十余年間にして其艦数殆ど昔日に倍し、英と雌雄を争うに至る。是れ時勢の大変革にして各国にして各国の着目する所、遠く国威を張り併に国益を起すは海軍の力に依らざれば更に致す能わざるを以て也。時勢の変換斯の如しと雖、国力の大小に随て海軍の進歩多寡なき能わず、和蘭(オランダ)海軍の如きは昔年英と雌雄を争い、又魯の師範たりしが、今日に至りては唯だ英に三舎を避るのみならず、魯に譲る又数等なり。是れ時勢の変態に通暁せずして然るに非ず、二国に比すれば国力小にして歳人少く、海軍を増備するの力足らざるを以てなり、故に地形を考え時勢を察し国力を計るに非ざれば海軍を創立するの模範を画定すべからざるなり。
我皇国地形を論ずれば突然海中に独立し四円船艦の航すべからざるなし、殊に敷島分断し気脈の相通ずる唯々水路に依るのみ、因て海軍の厳備を要するや英国にも勝れり。時勢を語れば上文論ずるが如く、宇内競て海軍を強盛にするの日に当るのみならず、先年来艦品海に突入し内地の状況を観察せしより外国概して我を軽視し、魯国は駸々我北境に侵入し又眼を対州に注ぎ勉めて宿志を達するの一助を得んとす。
魯国の宿志は亜欧に大洲を混一して己が有せんとす、而して其手を下すや近きを先にし遠きを後にし、難きを遣し易きを取り、漸次に国土を広大となす。故に欧羅巴(ヨーロッパ)の東辺亜細亜の北部、之と境界を接するもの一も其侵略を受けざる者なし、而して未だ大に其志を伸ぶ能わざる者は、亜細亜洲中、海軍を備えて根拠となすの良地を得ざる故なり。彼会て土耳古(トルコ)を取て地中海に突出し、亜欧二洲を中断せんとす、英仏を合して之に抗するを以て果さず、近年黒龍江に沿い満州の地を取て我北海道及び朝鮮と境を接し、連ねて皇国支那朝鮮の北境に圧進す。今若し東海に突出して良港を得、海軍を整備する時は、其大欲遂に制止すべからずして二大洲の大害之に若くものなかるべし。実に皇国に於て戒心すべきの第一にして断然之を圧止するの大策を講ぜざるべかんや。英の如きは我内地に常備を置き擅に兵威を張て国益を謀る、又英と米とは耶蘇、仏は天主を主とし各邪教を布かんとす。我皇土は寸分も失うべからず、他の兵權は決して我国内に容るべからず、邪教は断じて我国民を惑わすべからず、今彼が行わんと欲する所は、我厳に禁ずる所にして、戦端未だ発せずと雖も、其の機巳に伏す、其の発するに及んでは海備在て而して之と雌雄を争うべく、海備なき時は更に之に抗するの術なかるべし。故に海軍の厳備を要するや今日より切なるわなし、而して皇国人民の数を算すれば、凡そ三千萬を出ずべく、歳入の高を計れば凡そ三千萬石に上るべしと。
明治3年5月に当時兵部大輔であった前原一誠が提出した建議
