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2009年02月23日

『坂の上の雲』に於ける正岡子規の存在意義について

菜の花忌

「第13回菜の花忌」は、今朝の新聞で知りましたが1,300人の来場があったようです。ちなみに、今回飾られた菜の花は4,000本とか。

みどり夫人の、「坂の上の雲」は、「司馬さんが生きている意味の結晶であり、そして司馬さんは子規を愛していました」という内容の挨拶で始まりました、第13回菜の花忌シンポジウム。

第一部では贈賞式が行われ、第12回司馬遼太郎賞に明治学院大教授の原武史さん、司馬遼太郎フェローシップは鳥取大医学部生の鈴木愛瑠(える)さんに贈られました。

休憩を挟んで、15時過ぎより第二部、「『坂の上の雲』―正岡子規とその時代の明るさ」というテーマでシンポジウムが開かれました。

 一、「坂の上の雲」の魅力とは?

 一、なぜ正岡子規なのか?

 一、明るさとは何か?

 一、「坂の上の雲」はどう読めばよいのか?

という、四つの議題で進行。

ここで、昨日少し触れましたが、正岡子規のファンとして少しムカッとする発言が、あるパネリストから出ました。

司馬さんは何故、「坂の上の雲」で夏目漱石よりも子規を選んだのかいう問いかけに対して、一人のパネリストが、

「夏目漱石は、物事を複雑に考える傾向があるから、坂の上の雲の楽天家に相応しくなかったのでは?」

これに対して、もう一人のパネリストはこう述べました。

「私は司馬さんに夏目漱石で『坂の上の雲』を描いてほしかった。正岡子規は日露戦争の前に亡くなってしまうのだから、日露戦争を描いた『坂の上の雲』には、さして意味が無い。夏目漱石こそ時代に相応しい人物である。」

と、この子規を否定する発言を聞いた時、私はかなりのショックを受けました。

世の中には「坂の上の雲」に対して様々な見方もあるでしょうから致し方ないとは思いますが、それでも昨日は、帰りの電車でも帰宅後もこの事ばかりが気になってしまいました。

一日ばかり経って少し落ち着きましたので、今は「嗚呼、こういう人もいるんだな」と受け流すことにしましたが、また、私なりに『坂の上の雲』の子規の存在意義について思ったことをまとめてみます。

「『坂の上の雲』はリアリズムを追求した小説である。このリアリズムとは、正岡子規の唱えた「写生」に通ずる。」とパネリストの方が仰られたことを受けて、

また、会の始めにみどり夫人が述べられました、「司馬さんは子規を愛していました。彼の話をするときの司馬さんは目が輝いていました」との哀悼から、

<ここからは私見になります>

私は、小説「坂の上の雲」は司馬氏が正岡子規に贈った作品だったと思っています。

私が『坂の上の雲』を読んで思うことは、正岡子規が亡くなるまでの前半は、その文体はとても生き生きしています。しかしながら、子規死後の日露戦争に移っては一転して、その文体は細かい描写に徹することになります。この変化は、司馬氏自身が子規居士となり、子規が唱えた「写生」技法を、この作品に取り入れていったのだと思うのです。

また、この作品で司馬氏は乃木希典を愚将として扱いますが、これも子規が『歌よみに与ふる書』で紀貫之を下手な歌詠みと罵ることに相通ずるものがあります。

子規が俳句及び短歌の革新を行ったように、司馬氏もこの作品で、「歴史革新」、「小説革新」を見出したのだと思うのです。

晩年司馬氏は、『街道をゆく』でフィールドワークを行いますが、これも「写生」にあると思うのです。
現在、司馬遼太郎記念館で「司馬遼太郎が描いた絵画展」が催されていますが、これも絵を愉しんだ子規にも似ています。

さらに似ている点は、子規が、蕪村という俳人を発見し世に広めたように、司馬氏は小説を通じて坂本竜馬、秋山兄弟を世に広めてもいます。

故に、子規なくして「司馬遼太郎」はなく、子規なくして『坂の上の雲』はないと思うのです。

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投稿者 kaizer : 2009年02月23日 23:48

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コメント

「坂の上の雲」は子規の明るさを解くために書いた本だと思っていました

投稿者 : 2009年03月05日 23:52

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